ワナ(WANA)クリニックのネーミングについて
東北会病院 理事長 石川 達
「”ワナ”とはどういう意味なんですか?」とよく尋ねられます。
すぐに答えるのは照れくさいので、相手が東北の方であれば、「津軽弁の”わ(私)と”な(あなた)”です」と説明すると、すぐに納得したような表情をしてくれます。
しかし、私は青森とは縁もゆかりもありません。「どうしてカタカナなんですか?」と追求されたら、「よくぞ聞いてくれました」と心の中で快哉を叫び、それからもったいぶって、”ワナ”の由来を語ることにしています。
ワナクリニックは、正式には「ワナWANAクリニック」といいます。
「我々はひとりではない(We Are Not Alone)」の頭文字を並べたものです。
この名前は、このクリニックの基本的な考え方を表していると、開設してからだいぶ経った今でも、私としては気に入ってます。このネーミングは、アルコール依存症をはじめとする各種の嗜癖者本人やその家族との臨床的な経験に由来しています。
患者さんやその家族とお会いしていると、「孤立」「無援」というキーワードにぶつかります。
「がんばります。」「今度こそ勝ってみます。」「努力します。」と、自分自身を叱咤激励するアルコール依存症の患者さんの退院挨拶を何度耳にしたかわかりません。
これらの言葉は、じつは、不安、孤独、他人への不信、寄る辺のなさから発せられるものと気づくのにはそれほど時間は必要ありませんでした。
しかし、そうした生き方を必死になってしてきたからこそ、彼らはアルコール依存症になったのではないか、とも思うのです。だからこそ、回復の場としての自助グループが大切なのです。「互助」ではなく「自助」。互いに助け合うのではなく、深い意味において、真に自分を理解しているのは自分自身であり、他人には援助できない、ということを表している言葉です。
回復、あるいは嗜癖行動が止まるということは、一方では喪失を意味します。例えば、アルコール依存症の場合、断酒は、酒というやすらぎ(偽りであるとしても)の喪失であり、さらには、人間関係の喪失をも意味する場合が多いようです。
喪失は心の痛みをともなうものです。つまり、回復は痛みをともなうものです。そこから生じる寂しさや悲しみ、嘆きを共感し、丸ごと認め合う場が「自助グループ」であると、私は思います。
このような「自助」の意味を理解するようにクライアントを援助し、「自助グループ」への移行を円滑にする役割を「ワナWANA」という名に託しました。
このホームページが、ささやかながら「自助」の発信基地になることを願っています。